中野共立病院看護師採用ブログ

2012年5月アーカイブ

いのちをまもるということに一歩も妥協しなかった

原発の稼働を許さないーこのことを言い続けて、被爆者医療を続けられている医師がいます。

健友会の初代西荻窪診療所所長ー肥田舜太郎医師が95歳を迎えながら、全国各地で原爆医療の取り組みを講演されています。

5/30中野共立病院を含む健友会の職員会議で、講演いただきました。

67年前、先生は広島の陸軍病院にいました。爆心地から350m。先生は、たまたま心臓弁膜症の小児の往診に行っていてたまたま被ばくをせずに済んだのです。

戻ってきて荒野を歩き、誰も診察をしない原爆症の診療を続けていました。

先生は言います。「一生治らない。死んでいく人間と友達になりながら、励ます」 

そして

「戦後67年、まだ半分アメリカに占領されている日本。

医療者は、人間をみず、臓器しかみない。悪い臓器と一体になっている人間をみるんだ!!」

と、強くメッセージを送っていただきました。

健友会職員会議講演

「今生きている大人の責任として、放射能汚染は絶対にこれ以上広げてはいけない。核と人間は共存することはできないんだ」と人生をかけて生きてこられた肥田先生。

私たちも受け継いでいくぞ!と決意を新たにしました。

健友会職員会議講演 その2

先生と一緒に頑張って医療活動をしてきた、初代婦長さん。御齢92歳。

私たちの働く杉並区内を肥田先生と自転車2人乗りして検診活動をしてきました。

民医連の診療所が今あるのは、先生と婦長さんが、検診活動を回ったから。杉並の診療所のルーツを生の声で知る貴重な一場面となりました。

いつまでも、おげんきで。そして私たちもがんばります!

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歓迎バーベキュー♪

5月の日曜日、快晴!バーベキュー日和でした

今年入職した方の歓迎会を昭和記念公園で行いました。

歓迎バーベキュー

看護師、リハビリ、事務、職種を超えて楽しく交流しました。

毎年行われているこのバーベキュー、肉だけじゃありません!シャンパンの乾杯に始まり、はまぐり、カキ、お取り寄せアスパラ、焼きおにぎりetcと、グルメなんです

歓迎バーベキュー その3

歓迎バーベキュー その2

職員だけではありません、職員の家族も一緒に楽しんじゃいます。

今年は子供連れがたくさん!保育園のようでした

歓迎バーベキュー その4

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就職説明会&採用試験のお知らせ

2013年卒業対象の就職説明会、採用試験を行います。

就職説明会

2012年5月19日(土)10時~12時

2012年5月26日(土)10時~12時

2012年6月2日(土)11時~12時

採用試験

2012年6月2日(土)10時~12時

2012年7月21日(土)10時~12時

いずれも中野共立病院内で行います。採用試験内容は、面接と作文です。

第二新卒の方もご連絡ください。

お申し込み、お問合せは

中野共立病院 看護学生室 担当:長井・矢野

03-3387-3041 または 080-3456-7495

kangakusei@kenyu-kai.or.jp

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福島へ ~後篇~

実際に行って現地の方々の生の声を聴くことがとても大事なことだと思った。そして聞いた中身を現地につなげてみてくること・・、行っただけではわからないし行かないと実感として伝わらない。「まだ復興も復旧もしていない、しないだろうというのが今の結論ではないか。それほどひどいことをした。新しい形で作り直し発展しましたね・・・というのがこれから何十年もかかって結果的にそうだったということなのだろう」と言われた言葉が、重く心にのしかかり「なんと罪の多いことを私たちは許してきたのだ」「絶対に原発はいらない、脱原発しかない」と再度強く思った。

福島訪問 その3

福島で残って生活しているお母さんが泣きながら語った。夏には放射線量が高いということで学校は窓を閉め切り扇風機を回し蒸し風呂のような教室で勉強した。長袖を着てマスクをかけ、校庭では砂場はブルーシート、あちこちにコーンが立てられ遊べない、時間も制限される。運動会は2時間限定、楽しみの鼓笛隊も中止。すべての普通の生活が奪われ、常に放射能汚染に戦々恐々として生活してきたこと、子供たちの体力はこの1年で確実に落ちている、体重が増えない子、かえって太りすぎる子。免疫力も落ちている、風邪をひきやすい、インフルエンザも蔓延した。いまだに避難していく人がいる・・未来につながる展望が持てない、子供をこれ以上放射能にさらしたくない・・・いろいろな思いが交錯する。そして、気持ちがバラバラになっていく。転校していく子は挨拶もせずそっと去っていく、残るも苦渋出ていくも苦渋の選択なのだ。町がコミュニテイーが崩れ心も寸断されていく・・・、誰がこんな風にしたのか、安全神話に東電のいうことを信じてきたことに怒りと憤りを禁じ得ないといった重たい報告だった。

しかし、どの選択をしてもいい。私はここで生き抜くことを決めた。こどもセンターを中心にいろいろな地域の人々との共同の輪も広がっている。 原発0に向けてもここ福島から発信していきたいと力強いメッセージもあり、本当に福島に思いを寄せ今後の日本の行く道をどう選択するのか、11人が深く考え行動していくことが今を生きる私たちの大きな責任と感じた。

小林はるみ看護部長

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福島へ ~前篇~

 原発事故から1年、いま福島はどうなっているのか。テレビだけではわからない現地の様子を、小林はるみ看護部長が福島へ行きレポート!

2回に分けてブログにアップします。                       

 福島に近づくにつれて放射線線量計の値が上がっていった。

福島訪問

バスの中でも0.4μシーベルト!!えっと思っているとお昼を食べた郡山では雨どいの雨のしずくが落ちてくるところは何と1.2μシーベルト!!こういう中で福島の人たちは日々暮らしているのだと、色も形もない臭いもないものへ「恐怖」を感じた。

検問前まで行ったが、そこでも1.4μシーベルト。1年間の上限を1㎜シーベルトとしているが、1.4×24時間×365日=12㎜シーベルトになってしまう。東京は0.06μシーベルト・・桁が違っているのだ。除染も進まない、やってもやっても森や林に降り注がれた放射能が流れてきてまた同じになるという。除染した土があちこちに中間貯蔵庫を作っていた。これをまたどう処理するのか当てはないのだと・・・。

科学で解決できていないことを人間の勝手な利益のために使ってはならない。そして使った結果がこれなのだと目の前に示してくれた。大飯原発の再稼働が関西電力の夏の電力需給が間に合わないとやたらといっているが、間に合わせるためにどうするかであって原発再稼働のはずがないと改めて強く思った。そこが福島の再生の一歩に繋がる条件なのだとも・・・。

広野町に行ってきた。20キロ圏の外に位置し、計画的避難場所を解除されている。しかし5400人いた人々はようやく300人くらいが戻っただけという・・家がなくなっただけではない汚染地域になったのだ、昼は家に帰ってきているが夜は真っ暗・・私たちがいる間に人影はなった。そんな中でもひときわ目立った建物がある。1つは火力発電所の煙突、そして似つかわしくない(失礼だが・・)講堂、広野公園に立っている企業。原発を誘致するのに寄付金を多額にばらまいた。そして誘致金が国から地方自治体に投入されてきた。しかし、教育や福祉などに回ったわけではない。建物に限定されていたのだという・・・誰が儲かっていたのか?結局そのお金も大手企業に、大手企業は非正規雇用で労働者を雇っている。今も原発労働者はいわきに旅館を取って広野町駅まで通勤し、もっと高い線量の地域で働いているのだと思うと背筋がぞーとする。どこまで企業の論理で利益追求なのだろうか、労働者の命をどう思っているのか・・・。そういうことへの反省が、東電にも原発利益共同体といわれる人たちにはないのか!ここでも「それでも原発を進めるのか」と強く思わされた。

福島訪問 その2

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